シンガーソングライター 片山 叔美 Yoshimi Katayama
12歳からピアノでクラッシックを学びピアニストを志していたが、その後J-POPに魅せられシンガーソングライターを志す。作曲の要素を求め、有線放送で民族音楽チャンネルを聴き、ボサノバチャンネルに興味を惹かれてしまったことによりブラジル音楽に傾倒、またポルトガル語の発音にも魅せられ、自分の表現方法を歌に切り替える。
1999年から、ボサノバ、サンバ、ショーロなどを日本在住サンパウロ出身の女性シンガー、ヴィウマ・デ・オリベイラに師事。
ブラジル音楽を模索する中、「ショーロ」という器楽ジャンルに出会い、歌詞がついているものがある、ということを知り、かつて演奏したかった器楽的メロディを歌ではあるが演奏できることに喜びを感じ、以降、ショーロ中心に歌うようになる。
2004年ブラジルに渡り、ショーロの女王という敬称を持つブラジル唯一のショーロ歌手、アデミルジ・フォンセーカに師事、生活を共にする。
歌詞をかつ舌よく早いスピードで器楽的なメロディを歌いこなす技術がいることから、ブラジルでもアデミルジしか歌うことができないショーロレパートリーを歌う日本人が現れたと話題になり、アデミルジのショーにも出演。また、ブラジルのラジオ局に出演、ブラジルの全国紙新聞などでも紹介される。
同年、アデミルジと録音を果たし、2008年にその録音を含めた初CDアルバム、「EU CANTO CHOROS」(~私はショーロを歌う~)を発売。
2009年3月より、オフィスサンビーニャ配給作品として全国一般発売開始。
その後、J-WAVEの人気番組、「サウジサウダージ」や「別所哲也モーニングラジオ」に出演、ミュージックマガジン、CDジャーナル、タワーレコードのイントシキケイトなどに取材を受け、インタビュー記事が掲載される。
またショーロ歌唱法の技術を生かし、ハリウッドで1940年代~1950年代半ばに活躍したポルトガル生まれの元ブラジルスター歌手、カルメン・ミランダのレパートリーを得意とし、2009年11月には5着もの自作の衣装と装飾のチェンジがあるステージ、「カルメン・ミランダ生誕100周年記念コンサート」を都内の劇場で行う。
2011年、2度目のブラジル訪問をし、アデミルジ・フォンセーカと再会を果たす。滞在中、現地ラジオ、ショーなどに出演。
2012年、師匠アデミルジ他界。唯一のショーロ歌手アデミルジ・フォンセーカの日本人後継者として精進中。
主な出演場所に、都内のブラジルレストランやバーのプラッサオンゼ(青山)、アウボラーダ(吉祥寺)、アパレシーダ(西荻窪)、バルキーニョ(渋谷)、サッシペレレ(四谷)、カフェでは谷中ボッサ、ライブハウスではサテンドール、楽屋(中目黒)などに出演している。